この宇宙の片隅に
-館長による宇宙コラム-

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この宇宙の片隅に―館長による宇宙コラム―

宇宙に関わる仕事ってどんなことをしているの?

宇宙開発の大先輩 的川館長が宇宙についてのあれこれを楽しく解説します。
随時更新されるので、掲載をお楽しみに!

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この宇宙の片隅に(27)

 2024年に国際宇宙ステーション(ISS)が一応の「定年」を迎えるのを前にして、その後の世界の国々の国際協力の柱を何にするか、十年以上も前からいろいろと議論されてきました。その協力のテーマが、アポロ計画以来の「有人月飛行」ということに決定されたのは、昨年東京で開かれた国際会議でのことでした。
 これから取り組む月への有人飛行計画や、その先に控える火星への有人飛行には、日本も積極的に参加する意向を示しています。ということは、みなさんの世代が大人になって大活躍するテーマだということになりますね。そこで、その月への有人飛行をなしとげた50年前のアポロ計画について、何回かの連載でみなさんに解説をしておきましょう。

【人類初の月面着陸から50年】「アポロ計画」(その1)

 1969年の夏。日本標準時の7月21日(月)(米国時間では7月20日)。アメリカのアポロ11号の着陸船「イーグル号」が、月面に着陸しました(図1)。月が誕生してから約46億年間、誰も訪れたことのない灰色の世界に、初めて生き物が操縦する乗り物が降りたのです。38万km離れた地球の人々のところに、船長の落ち着いた声が届きました。

 ──「ヒューストン、こちら静かの海基地。イーグルは舞い降りた。」

図1 舞い降りるイーグル(想像図) 図1 舞い降りるイーグル(想像図)

 イーグルには二人の宇宙飛行士が乗っています。ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン。アームストロング船長が着陸船の窓から月世界を眺めると、四方八方に荒れ地がうねっていました。生き物はいません。地球のような雲もなく、青空もありません。ただ岩と影とクレーターと、舞い上がったほこりだけがありました。
 ニールとバズは顔を見合わせました。バズがにっこりと笑い、手を伸ばしてニールの手を握りしめ、それからお互いに抱き合い、背中を叩き合いました。
 二人はすぐに降りる準備を忙しく開始し、まずニール・アームストロングが、イーグルの外へ出ました。一段また一段と月へ降りて行きます。梯子は9段ありました。アームストロングは一番下の段に来た時、一瞬動きを止めました。彼は片足を宙に浮かし、次の瞬間スローモーションで飛び降り、両足でフットパッドの上に着地しました(図2)。ニール・アームストロングは、慎重に左足をフットパッドの外に踏み出し、自分の重さを確かめるように軽くジャンプし、そのまま片足をフットパッドに置いたまま、語り始めました。

──「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、(ひと呼吸おいて)人類にとっては大きな跳躍だ。」

 こうして人類は初めて月に足を踏み入れたのです。ニールが月面に第一歩をしるして14分後、バズ・オルドリンが梯子を降りました(図3)。当時27歳だった私は、東京・御茶ノ水の喫茶店のテレビで見ていました。あれから50年が経ったのです。
 この宇宙時代のクライマックスの一部始終を、実況のように書いてみましょう。

図2 アームストロングが月面に降り立った瞬間。 もちろん固定カメラの画像しか残されていない。 撮影する人が月面には誰もいなかったのだから。 図2 アームストロングが月面に降り立った瞬間。 もちろん固定カメラの画像しか残されていない。 撮影する人が月面には誰もいなかったのだから。

図3 バズ・オルドリンの着地直前と彼が月面を踏んだ最初の左足の足跡。 図3 バズ・オルドリンの着地直前と彼が月面を踏んだ最初の左足の足跡。

 

【ケネディ大統領の歴史的演説──アポロ計画の始まり】

 1961年5月25日、アメリカのケネディ大統領が、アメリカ議会で「国家の緊急な必要性」と題する歴史的演説をしました(図4)。その核心は以下のような言葉です。
 ──「私は、1960年代の終わりまでに、人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に、わが国が取り組むべきだと確信しています。この期間のこの宇宙プロジェクト以上に、より強い印象を人類に残すものは存在せず、長きにわたる宇宙探査史においてより重要なものも存在しないことでしょう。そして、このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもないでしょう」。

   

図4 人間を月に着陸させて地球に帰還させる大計画を発表するケネディ大統領 図4 人間を月に着陸させて地球に帰還させる大計画を発表するケネディ大統領

 ケネディがこの演説をした時点では、アメリカは、そのわずか1ヵ月前に、アラン・シェパード飛行士がわずか15分あまりの弾道飛行をしたという実績しか持っていませんでした。そんな段階から、月までは遥かに遠く、ましてや月面着陸など、まともに考えれば無謀の極致と思う人も大勢いたのです。
 一方ソ連(ロシアの前身)はすでに1961年4月12日にガガーリンが地球を一周する軌道飛行をしていました。ケネディは国の威信と名誉をかけて、この大計画を発表したのです。
 アメリカの若者たちが、月をめざす夢の計画に続々と集まってきました。当時アメリカは、ベトナムで戦争をしており、その兵器の開発に携わっている青年たちの中には、「人を殺す兵器よりは、未来をひらく仕事がしたい」という思いを強く抱いて、軍事産業からNASA(米国航空宇宙局)のアポロ計画に転身した人がたくさんいたそうです。国の政治が夢を作り出し、そのために一生懸命働く人たちがどんどん元気になっていく──アポロ計画に取り組んだアメリカの1960年代は、そのお手本となる時代だったのですね。
 1人乗りのマーキュリー宇宙船から2人乗りのジェミニ宇宙船へと、人間の宇宙飛行の経験が積み上げられていきました。そして3人の飛行士が地上テスト中の宇宙船の火事で死亡するという悲劇(アポロ1号)を経て、ついに3人乗りのアポロ宇宙船が完成しました。それを月まで運ぶロケットともども、数々のテストと飛行が繰り返され、1969年7月16日、フロリダ州のケープカナベラル基地から、3人の飛行士が飛び立ちました(図5)
 サターンVロケットの先端に乗ったアポロ宇宙船に搭乗しているのは、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズの3人です(図6)。では次回からその歴史に残る旅を追っていきましょう。

   

図5 1969年7月16日 午後10時32分(国際標準時)、アポロ11号宇宙船を乗せて打ち上げられたサターンVロケット 図5 1969年7月16日 午後10時32分(国際標準時)、アポロ11号宇宙船を乗せて打ち上げられたサターンVロケット

図6 アポロ11号の乗組員たち。 (左から)アームストロング、コリンズ、オルドリン 図6 アポロ11号の乗組員たち。 (左から)アームストロング、コリンズ、オルドリン


[図クレジット]図1~6 NASA