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この宇宙の片隅に 館長による宇宙コラム
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館長あいさつ

的川泰宣
【 的川泰宣プロフィール 】

宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授、日本学術会議連携会員、国際宇宙教育会議日本代表。東京大学大学院博士課程修了。東京大学宇宙航空研究所、宇宙科学研究所教授・鹿児島宇宙空間観測所長・対外協力室長、JAXA執行役を経て現職。工学博士。

ミューロケットの改良、数々の科学衛星の誕生に活躍し、1980年代には、ハレー彗星探査計画に中心的なメンバーとして尽力。2005年には、JAXA宇宙教育センターを先導して設立、初代センター長となる。日本の宇宙活動の「語り部」であり、「宇宙教育の父」とも呼ばれる。 著書『人類の星の時間を見つめて』(共立出版)ほか多数。映画「はやぶさ/HAYABUSA」(20世紀フォックス映画)の的場泰弘(キャスト:西田敏行)のモデル。

ご家族の方へ──館長からのメッセージ

写真1)ルナ3号が送ってきた月の裏側の写真

19世紀のフランスの著名な社会学者オーギュスト・コント(1798~1857)は、「月の裏側は人類が決して見ることのできないものである」と言いました。しかし20世紀、人類は科学と技術の分野で長足の進歩を成し遂げました。そしてコントが亡くなってから約100年後の1959年、地球から月をめざした「ルナ3号」という探査機が、月の裏側を撮影して送ってきました(写真1)

写真2)アポロ8号が送ってきた地球の画像

人類はこの時初めて、地球に留まっていれば決して見ることのできない月の向こう側を見たのです。
さらにその約10年後には、アポロ8号で月を周回した宇宙飛行士が、月の地平線から昇ってくる地球の姿をカメラに収めて、電送してくれました。暗い月面の地平線から荘厳な趣で姿を現した私たちの故郷の星の美しさに、全世界の人々が息をのみました(写真2)。この写真は、2000年に著名な天文雑誌『スカイ・アンド・テレスコープ』が実施した「20世紀で最も印象的だった宇宙映像」を選ぶインターネット投票で、圧倒的なトップ得票を獲得しました。

写真3)「かぐや」がとらえた満地球の出

あの1968年、私は大学院生でした。あの月面に浮かぶ地球を、震えるような感動の中で見ていました。そして2000年、あの頃の私と同じ気持ちをもってあの映像を見ていた人々が世界各地にたくさんいたのだと知り、私の心には、再び当時の興奮がよみがえりました。
2008年には、日本の月周回衛星「かぐや」が、満月ならぬ「満地球」が月面を静々と昇るハイビジョン映像を私たちにプレゼントしてくれました(写真3)

写真4)ポイジャーがとらえた地球

地球は、まばゆく輝いています。もしどこか太陽系外から宇宙人が太陽系にやって来たとしたら、この青い星に大いに魅力を感じることでしょう。地球を回りながら眼下に地球を見つめて、「この星には国境がない」と語った飛行士と同様に、私たちは今、はるか38万kmの距離を隔てて月から見る私たちの地球が、綺麗だという実感とともに、単純な一つのボールだということに、今さらながら気づくのです。

しかし私たちの世代の人類は、もっと途方もない探査機を宇宙へ送りました。1977年にアメリカ・フロリダから打ち上げられた「ボイジャー1号」が、遂に太陽系の端に到達し、人類にとって未知の場所を体験しつつあります。そのボイジャーは、1989年、私たちから最も遠い惑星である海王星のそばを通過し、その翌年、さよならを告げる惑星系を懐かしむように、振り返って地球を撮影しました(写真4)。暗黒の宇宙空間に孤独の青い光をかすかに放つボイジャーのふるさと、地球。その青い点の中に、数十億人もの人たちがひしめき合いながら暮らしている。この点は、国境どころか、大きささえ感じられないほど小さく見えます。それでもこの星は神秘的な青い光を放っています。まるで私たちに「この青い色をいつまでも守ってね」と言わんばかりに。

写真5)宇宙飛行士の見た地球

60億kmの彼方から届いたこの青い光のメッセージは、私たちに向けられた雄弁な警告です。この青い地球で生きている私たちは、今どういう時代に生きているのでしょうか。私たちが住んでいるこの星の現在は、残念ながら生き物が生活するのに非常に難しい環境にあると言わざるを得ません。現在のその苦境を何とかして乗り切らなければ、この青い透明な光は、どす黒く不気味な色に転ずる他はありません。もし核戦争がひとたび起きて、黒い地球に変身しても、このボイジャー1号の写真を見る限り、近くの星から誰かが救援に駆けつけてくれる可能性は皆無と言わざるを得ないのですから。
青い光を守るカギは、私たちがこの星を限りなくいとおしく想う気持ちです(写真5)。青い光を守る力は、これまで人類が営々と築いてきた科学と技術です。そのことを私たちは決して忘れないようにしましょう。人類は、この星の生き物としてはかつて例がないほどの繁栄の道をたどり、この天体の表面を闊歩し、あらゆる生き物を従えて「わが世の春」を謳歌しているはずでした。見込み違いは、人口が増えすぎて、それを養うために異常なほどのエネルギー源が必要になり、下手をすれば人類絶滅かという悲観的な見方まで出現しています。

その人類がみんなで生きていくための驚異的な量のエネルギーを生み出してきたのは、科学に基礎を置いた技術です。これからも、科学と技術が頑張らなければ、人類は増加傾向のとまらないこの世界で、生き延びていくことはできない でしょう。しかし、元はと言えば、科学・技術というものは、エネルギーを生み出すために「発明」されたものではなく、初めは人間が生きていくために必死に工夫を重ね、やがてそこから生じた自然や生き物への純然たる好奇心が、その自然や生き物との対話を限りなく繰り返しながら、世代から世代へ受け継ぎながら創り出してきたものです。

その科学・技術は、これまでに世界の各地で発達してきた人類の豊かな文明を根底から支え、古代や中世の人々の生活ぶりと比較しても、私たちは実に素晴らしく「贅沢」で「便利」な毎日を送っていますね。そして私たちは、その「贅沢」や「便利」からもう後戻りができないと信じていますね。本当に後戻りができるのかできないのかは、ひとまず措くとして、私たちがこれからも科学・技術のあり方に格別の脱皮を遂げない限り、現在の人類が直面している危機は乗り越えることができないでしょう。

2011年3月11日に日本を襲った地震と津波は、わが国に未曾有の被害をもたらしました。とりわけ福島第一原子力発電所の事故が原因で、大震災の後しばらくは、日本のあちこちに科学・技術への不信感がひろがって行ったのです。その科学・技術への信頼が、とりわけ子どもたちの間で揺らいでいく様子を、あのころ東北を訪れた私は、苦しい気持ちで確認していました。「これからの日本は、この状況だからこそ、科学・技術の果たすべき役割が大きいのに……」と思いながら。ただし、その厳しい経験の内から、大きな挑戦の意欲と闘志を奮い起こした大勢の若者たちがいることも見逃してはいけません。

「大震災からの復興」という課題を背負った日本の危機は、実は一国の課題というだけでなく、環境問題・エネルギー問題などの人類史的な課題を世界が抱えている中で起きているところに、大きな特徴があります。そしてこの危機を私たちが乗り越えていくのに、長い時間がかかりそうだということも見えてきています。
長期の課題ということは、つまり私たちが、子どもたちをその時代の課題にふさわしい力を持つ人々に育て上げなければならないということを意味しています。
子どもたちの未来に未知の世界が延びているのは、いつの時代も同じことでしょうが、現在のように将来の世界の姿、日本の寄与のかたちが見えにくいときは、私たち大人の側から、子どもたちがどのように生きていけばいいのかというイメージとメッセージを、明確に描いてあげられない悩みがありますね。

考えてみると、これまでの人類の歴史は、長いタイムスケールで眺めれば、佳い時と悪い時とが交替しながら推移してきたものです。厳しい時代があると、その時代の中から必ずニューエイジが出現して、時代の課題を乗り越えて新たな世の中を築いてきました。今は、世界も日本も、そのような過渡期なのだと、私は感じています。
こんな時期、子どもたちがたくましく多難な時代に挑戦していくために最も大切なことは、生身の現実をしっかりと見ることです。あれこれ旧来の人間が積み上げてきた方法を伝授することを一番に置かないで、社会で展開している事柄の一つ一つを真正面から真剣に見つめることだと思います。

自然科学や技術の世界であれば、それは自然や生き物やハードウェアのそのものに触れる経験を増やすことです。これまでの先輩たちが作り上げてきた理論の枠組みや法則・公式などの知識の断片を教えるのではなく、空や山や海や川の生きた姿を、直接、自分のからだと五官で感じ、体験することから出発するのです。夜空の星々をじかに見つめ、カブトムシを自身の手でつかみ、楽しく川遊びをする。
その中から続出する生々しい疑問に真剣に挑んでいくそんな機会をいっぱい持つことが、どんな生き方をする子どもにとっても、最も大切な基盤です。
遠い宇宙を見つめるとともに、身のまわりに目を転じると、私たちが魅力的で多様性に富んだ様々な事物のただ中に生きていることを実感させられます。まず私たちの生活の場である町があり、川があり、丘や山があり、頭上には広い空がひろがっています(写真6)。

そのあちこちには虫が飛び交い、木々がまぶしい光の中で育ち、草花が必死で生きようとしている健気な姿を見ることができます(写真7)
たとえばタンポポの種子が優雅に飛んでいるとき、ちょっと考えると、これはタンポポが一生懸命に子孫を増やすための努力をつづけてきた獲得した飛行技術だということが分かります。そして世界中で親子の営みを展開している動物たち(写真8)

  • 写真6)そこには美しい自然がある

  • 写真7)色とりどりの花が咲きにおっている

  • 写真8)無数の動物やその親子が仲むつまじくたわむれている

写真9)5F宇宙船長室

46億年前にこの世に形づくられた地球と約40億年前に誕生した「いのち」──現在のどっしりとした自然も、多様で素晴らしい生き物の世界も、これまでのこの星の上で進化をしてきた奇跡的な歩みでないものは一粒もありません。
そしてそれらは、137億年前に生まれたと言われているこの宇宙の進化の一環なのです。山や川や岩石の表情に「宇宙」を感じ、タンポポや桜の姿に「宇宙」を感じることで、私たちは今、「宇宙」という言葉の持つ身近で豊富な内容を掴み取ることができます。その把握のオーソドックスな方法は、自然や生き物と直に接すること。大いに「宇宙」と遊ぶことです。そこから、子どもたちは、机上の「勉強」では得ることのできないダイナミックで変化に満ちた魅惑的な経験と知恵を積み重ねることができるでしょう。そしてそこからしか、科学・技術の本当の意味と魅力を感じることはできないでしょう。つまり「宇宙」はすぐ身近にあり、それどころか、私たち自身が「宇宙」の一部なのです。

写真10)5F宇宙船長室

そのように「宇宙」を感じながら子どもの時代を生きてきた先輩たちによって生み出された現代の素晴らしい科学・技術の成果の一部が、「はまぎん こども宇宙科学館」に展示されています(写真9)。その展示では、楽しい遊びを交えながら、現在の科学・技術を支えている最も基本的な原理や考え方が、多面的に身に付くよう工夫されています(写真10)

自然や生き物に接した体験を、落ち着いて考え、頭脳で確認し、定着させるチャンスそれは科学館が提供できる大切な事柄です。しかし科学館が果たしたいと思っているのは、それだけではありません。その逆に、科学館で観て聴いて楽しんだことが、翻って生身の自然や生き物に触れるための、素敵な動機にもなります。

写真11)1Fプラネタリウム

たとえばプラネタリウムはその好例ですね(写真11)。プラネタリウムに投影されている夜空には、決して本物の星ぼしが輝いているわけではありませんが、そこで解説されたことを最初のステップにして実際の広大な宇宙へと心を開いていく子どもたちは跡を絶ちません。また、科学館で試しにやってみた科学工作や科学実験(写真12)の面白さが刺激となって、ものづくりの世界に飛び込んでいく子どもも無数にいるのです。

写真12)科学工作や科学実験

「はまぎん こども宇宙科学館」(写真13)は、横浜線・根岸線の洋光台駅から徒歩3分。大変アクセスしやすい場所にあります。かつて「横浜こども科学館」と呼んでいた時代から、いわゆる科学館の老舗として、多くの来館者を歓迎してきました。「幼い頃この科学館を訪れたことが、自分の自然や科学への目を開かせてくれた」と懐かしそうに語る人たちがいっぱいいます。

写真13)はまぎん こども宇宙科学館

これからの「はまぎん こども宇宙科学館」は、上に述べたような子どもと自然・生き物、子どもと科学・技術との橋渡しをする存在であると同時に、大切な人生のステップを歩みつつある子どもたちと家族との絆を強める舞台でもありたいと願っています。この私たちの科学館のある洋光台には、素晴らしい自治会組織が活動しています。その地域のみなさんと力を合わせて、子どもたちとその家族を、お互いが強く結びついた元気に溢れた街にしていくことを、私たちは決意し、日常の活動を展開しています。サイエンスクラブやプレイパーク(写真14)などはその好例です。そしてその地域づくりから発した子どもたちのエネルギーが周辺に連携の輪をひろげ、やがてこの国と世界の明るい未来を築く力になっていくよう、努力をつづけます。

写真14)サイエンスクラブやプレイパーク

人は人生において人間として最も変わるのが、(平均値としては)10歳ごろであるといいます。小学校5年生ぐらいですね。それは、「自分は世のため人のために一生を生きて行きたい」とか「人を押しのけても自分は出世街道を歩みたい」とか「自分は大金持ちになりたいなあ」とか、良い悪いは別として、とにかく自分の人生をそれなりに輝かせるためのその後一生の基本になるものが心の中に現れ、育ち、染みついていくのが、それくらいの年齢ということらしいです。ならば、幼稚園・保育園から小学生・中学生の時代は、人間の一生にとって最も大事な階段を上っている時期なのですね。

「長い人生で最も大切な年代」あるいはそこに向けて非常に大切な内面を作りつつあるときだからこそ、家族の人と科学館を訪れることを推奨したいのです。そこで見聞きしたこと、体験したことを出発点として、大きな自然、生身の生き物、広い社会に飛び出していくための会話を、家庭で日常的に展開して欲しいのです。そのような会話は、子どもの心に豊かな感情を育み、生きていくための強く暖かい心を育ててくれるでしょう。だって、人生で大事なものが芽を出す時期は、家族との絆も強力に作られていく時期と重なっているのですから。科学館を、地域交流の「共通の広場」として、家族の「知的な憩いのお茶の間」として、大いに活用してください。

「はまぎん こども宇宙科学館」は、これから広い世界に羽ばたいていく子どもたちの跳躍台となるために、また家族の間に知的で楽しさに溢れた日常的な絆ができていくことを願い、従業員の総力をあげて応援します。みなさん、子どもたちとともに「はまぎん こども宇宙科学館」を訪れ、家族ぐるみで楽しみ、語り合い、子どもたちがこれから大きくたくましく伸びていくための力の源を吸収する舞台として活用してください。みなさんのお越しを心からお待ちしています。

はまぎん こども宇宙科学館 館長 的川泰宣