この宇宙の片隅に―館長による宇宙コラム―

人類初の月周回飛行への旅立ち──アポロ8号の軌跡

2018年12月25日(火)

 1968年12月20日、人類初の月周回飛行に臨む3人の飛行士の宿舎を、その41年前に大西洋横断単独無着陸飛行をなしとげたチャールズ・リンドバーグが訪れました。フランク・ボーマン、ジム・ラヴェル、ビル・アンダーズ(図1)──アポロ8号のクルーは、少年時代の憧れのヒーロー及びその妻アンと、同じテーブルを囲んで、食事をしながら楽しい会話を存分に楽しみました。

図1 アポロ8号のクルー(左から、ラヴェル、アンダーズ、ボーマン)

【旅立ち】

 そして翌日、1968年12月21日午前7時51分、3人の乗る宇宙船を搭載した巨大なサターン5ロケットが轟然と飛び立ちました(図2、図3)。このとき何かトラブルがあって飛行管制センターが飛行中止を決定しても、激しい揺れと轟音のさなかにあるアポロ8号のクルーには、中止の命令は聞こえなかっただろうと言われています。

図2 サターンVロケットによるアポロ8号の打ち上げ(ケネディ宇宙センター)

図3 アポロ8号の打ち上げをケープケネディで見つめる人々

 打ち上げから8分45秒後、第三段ロケット点火。その2分45秒後、第三段はいったん燃焼を停止して、アポロ8号は地球周回軌道に乗りました。すでに地球周回を経験したことのある他の二人と違い、今回初めて地球を回る軌道に乗ったアンダーズが、窓いっぱいに広がる壮大な故郷の星を眺めていて、船長のボーマンから「窓の外を眺めたりするのはやめろ」と言われたのはその時でした。

 打ち上げ後2時間47分37秒、穏やかなショックと共に第三段ロケットが再着火、遂にアポロ8号は、有人宇宙船として人類史上初めて、月へ向かう軌道に乗ったのでした。宇宙酔いに悩まされ、アポロ宇宙船の大きな欠陥の一つである「廃棄物処理システム」(はっきり言えば尿便の処理)に苦しみながらも、月への中間地点あたりで地球へのテレビ中継を行いました。5億人の人がその中継を観ていました。放送終了直前、ラヴェルが笑顔で言いました、「ハッピー・バースデイ、母さん」。この日は彼の母の73回目の誕生日でした。

 68時間58分4秒きっかり、全く予定の時刻に、地球からの信号が切れました。アポロ8号が、月の影に入ったのです。窓の外を見たアンダーズの眼が、おびただしい数の星の海のなかに真っ黒な丸い闇の穴を見つけました。ぞっとして首筋の産毛が逆立ったそうです。その穴が、月だったのです。

【月面から昇る地球】

 1968年12月24日、アポロ8号に乗り組んだ3人の飛行士がヒューストンを飛び立ってから、2日と21時間が過ぎていました。飛行士たちは、月の影を飛行しながら、エンジンの逆噴射の準備にかかっています。もし4分間の噴射がうまくいかなかったら、宇宙船は月を回る軌道に入ることができず、通り過ぎてしまいます。

 点火予定時刻まであと3分。突然アポロ8号が太陽光線の中に戻りました。ジム・ラヴェルが叫びました、「おい、月が見えるぞ!」 斜めに太陽の光を受けて、月の山脈が長い影を落としながら、月面を次々と流れていくのを、ビル・アンダーズも確認しました。地球を出てから初めて見る月です。「ああ、神よ」。感極まってつぶやくアンダーズに、船長のフランク・ボーマンが怒鳴ります、「そんなのは、これから嫌と言うほど見られる。もうすぐ点火だぞ!」

 ハッと我に返るアンダーズ。そしてエンジンの逆噴射は見事に成功し、アポロ8号は、月をめぐる楕円軌道に無事投入されました(図4)。そのアポロ8号の窓から、アンダーズは、月面の様子をつぶさに見つめていました。そして、地上局にいる管制官に月面の様子を熱っぽく語っていました。しかし正直に言うと、月面は極めて単調で、次から次へと続いていくクレーターばかりの地形に、ちょっとうんざりしていました(図5)

図4 アポロ8号(想像図)

図5 アポロ8号から撮影した月の裏。米航空宇宙局(NASA)提供。写真中央右側付近の底部が黒く写っているクレーターの直径は約70キロ(1968年撮影)

 そしてそれは突然目の前に現れました。ラヴェルが六分儀を月面に向けられるように、ボーマンが必死で宇宙船を回転し終わったその時です、「うわぁ、すごいぞ! 地球が昇ってくる!」アンダーズの叫びに、ラヴェルもボーマンも窓の外を見ました。荒涼とした月の地平線の向こうに、まばゆいばかりの青と白に彩られた地球が、漆黒の闇を背景にゆったりと昇っていきます(図6)

 「なんて美しいんだ!」 うっとりと見つめる3人。作業に移ってからも、この感動と興奮からさめやらずにいた飛行士たち。この日彼らは、20世紀で最も衝撃的で印象的な天体の風景を目にしたのでした。

図6 月面に浮かぶ地球(ビル・アンダーズ飛行士撮影、1968年)

【月からのクリスマス・メッセージ】

 衝撃的な月面からの「地球の出」を見た3人は、その興奮もさめやらぬままに、月面の観測を続けていました。人類初の月面着陸の候補地になっている「静かの海」周辺は、とりわけ念入りに調べました。見たところ、それほど障害物はなく、着陸には適しているように見えました。

 アポロ8号が年の暮れになって月を周回した1968年という年は、アメリカ合衆国にとって非常に暗い年でした。ベトナム戦争が泥沼に陥って、国民が18世紀の建国以来、初めてこの国の未来に疑問と不安を感じた年と言われました。クリスマス・イヴの日に月を周回している彼らに、地上のスタッフが言いました、「一人の人の言葉に、こんなに多くの人の耳が傾けられたことはないはずだ。何か気の利いたことを言ってよね」。

 2度目の月からの生中継の時間がやってきました。折りしも月面から太陽が昇ってきました。故郷の星、地球では、町々の広場で、オフィスで飲み屋で、おそらく5億人を超える人々が、はるかな月を回る軌道上から送られる3人の声を聴こうと待ち構えていました。

 月を周回するアポロ8号から、静かにクリスマス・イヴのメッセージが始まられました。

 ボーマン──こちらアポロ8号。月からの生中継でお伝えします。……月の持つ意味は、茫漠として寂しく、虚無ないしは無のひろがりという不気味さです……

 アンダーズ──まもなく月の日の出です。地球上のすべての人々に、アポロ8号のクルーからメッセージをお送りしたいと思います……
そしてアンダーズは、飛行計画書の裏に書いてある聖書の一節を読み始めました。

 「はじめに神は天と地を創造された。……そして神は言われた。“光あれ”と。すると光があった……」。ラヴェルが続けます。「神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕べとなり、また朝となった。……」。ボーマンが締めくくりの一節を朗読します。「神は乾いた地を陸と名づけ、水の集まったところを海と名づけられた。神は見て、よしとされた」。

 「そしてアポロ8号のクルーから、最後の言葉です。おやすみなさい、幸運を祈ります。メリー・クリスマス、みなさんに神の祝福がありますように、すばらしい地球のすべてのみなさんに」。

【地球帰還】

 そしてアポロ8号の飛行士たち3人は、地球帰還の途に就き、1968年12月27日、懐かしい地球の近くまでやってきました。地球大気に無事に再突入をするためには、突入の角度が大事です。深い角度で突っ込むと、大気から入って来る熱が多すぎて宇宙船は燃え尽きてしまいます。逆に突入角度が浅すぎると、大気の壁によって跳ね返されてしまうので、大気の中にもぐることができません。

 予め計算したところでは、角度がちょうどよければ、今見えている地球の夜の部分の黒々としたカーブの向こうに、月がわずかに顔を出すはずでした。「月が見えたぞ!」船長のボーマンが嬉しそうに声をあげました。予定通りの経路に乗っているのです。

 再突入! これまで無重力だった飛行士たちに、わずかに力がかかりました。制御エンジンを噴射しました。計器盤のランプが点灯。「来た、0.05Gだ!」ブレーキがかかります。ラヴェル飛行士が計器盤の数字を読み上げます。「1G!」「5!」「6!」自分の体重が5倍になったような感じの中で読み上げる彼の声は、すっかりつぶれています。

 胸にかかる圧力が減りました。と同時に、窓の外が白昼のようなまばゆさになりました。炎に包まれた物体がいくつも飛んでいきます。大気圏に突入し、耐熱シールドのかけらが飛び去っているのです。3人の乗った司令船は、搭載コンピューターに巧みに操られながら、明けやらぬ闇を突進します。

 再びヒューストンとの交信が始まりました。高度計も息を吹き返しました。高度約3万メートル。秒速約300 mで太平洋に向け降下中です。パラシュートが開きました(図7)。3人の飛行士の耳に、回収ヘリコプターからの声が届きました──「アポロ8号、こちらエア・ボス1号。おかえり、みなさん。まもなくみなさんをこのヘリに迎えることになる」。

 司令船は凄まじい衝撃とともに着水。ハッチから出た3人は、ヘリコプターから降りてきたネットに、一人ずつ吊りあげられ、空母ヨークタウンに運ばれました(図8)。空母ではアメリカ国旗が振られ、大勢の水兵たちが歓呼の声をあげて3人の英雄を迎えました(図9)。3人がヒューストンに戻った時、ボーマンは見知らぬ人から電報を受け取りました。そこに書いてあった言葉──「あなた方は1968年を救った」(完)

図7 パラシュートとアポロ8号の着水の瞬間

図8 空母に吊りこまれたアポロ8号の宇宙船

図9 帰還を喜ぶアポロ8号のクルーの家族たち(1968年)

[図クレジット]図1~9 NASA

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